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2023年3月16日 (木)

12年目の3・11 福島第一原発事故関連の農場通信

先週、福島第一原発事故が発生してから12年目の3月11日を迎えました。小林農場は3月11日を「食の安全を考える日」と定めて、このブログにあの時の記憶を遺したいと思います。

福島第一原発事故以後、日本では原発の活用を推進することは控えられていましたが、昨年、ウクライナ戦争発生などの原因で電力費が高騰していることを理由に日本政府は原発再稼働を再び推進してゆく方針を公表しました。そして「現在の電力費高騰の状況では、原発の再稼働はやむを得ない」という世論も高まり、最近の世論調査では「原発の活用に賛成」が「原発の活用に反対」を上回りました。原発をめぐる情勢が今年、大きく動くかもしれません。

そんな時にこそもう1度、あの事故が発生した時にどんなことが起こっていたのか、思い出してみたいと思います。

以下は原発事故が発生してから2年後に書いた過去の農場通信より。

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打てない終止符   平成25年11月18日

向寒の候、みなさん、いかがおすごしでしょうか。

  11月10日、栃木県宇都宮市にて、原発再稼働反対を訴える大規模なパレード「さよなら原発 栃木アクション」が行われ、私も参加してきました。2000人を超える一般人が足を運び、「原発はいらない!」と声を上げながら、市内の中心街を練り歩きました。

  私が農業研修を終えて農家として独立して小林農場を設立したのは、平成23年の1月のことでした。そのわずか2カ月後の3月11日に東日本大震災が発生し、悪夢の原発事故が引き起こされました。小林農場の歴史は、福島第一原発事故とともに始まりました。

  事故によって栃木県内にも放射性物質が拡散し、当時、放射性物質によって自分たちが育てている野菜がどのくらい汚染されているのかよく分かりませんでした。私のまわりの農家の中には、汚染の状況がはっきりと分かるまで野菜の出荷を自粛する方もいました。

  私は収穫時期を迎えた小松菜をさっそく出荷してみました。出荷することによって、まだ設立したばかりの農場の第一歩を踏み出したかったので。

  もし自分が出荷した小松菜が本当に放射性物質に汚染されていて、それを食べた人が健康被害を被ってしまったらどうしよう?出荷した後になってそのような不安がこみあげてきて、背筋が凍りついてきました。第一歩を踏み出してみたら、つまずいてケガをしました。一回出荷したきり、小林農場もしばらく出荷を自粛することにしました。

  現在は日本の田畑の性質では作物に放射性物質が移行しにくいことが分かり、検査をしてみても作物から放射性物質が検出されることはほとんどなくなりました。ただ、原木で育てたシイタケなどのキノコ類や山菜類、イノシシなどの獣肉など、除染の難しい山から採れる「山の幸」からは今でも高い数値の放射性物質が検出され、私たちの地域でもこれらの出荷が規制されています。小林農場でも原木でシイタケを作るつもりでいましたけれど、せっかく作っても、今は安心してシイタケを出荷できる状況ではありません。

  今年も行政から落ち葉を堆肥の材料として使うことを控えるように呼びかけられています。落ち葉には降り積もった放射性物質がたくさん混じっている可能性があるからです。

  小林農場が利用している雑木林には、原発事故当時に放射性物質を浴びた古い落ち葉もたくさん残っています。落ち葉で堆肥を作ったら必ず検査をして安全性を確かめようと思います。もし高い数値の放射性物質が検出されれば使用をあきらめなくてはいけません。

  原発事故によって被った小林農場への被害はまだまだ小さいもの。福島第一原発周辺の市町村で農業を営んでいる農家の方々は、本当に悲惨な被害を受けています。代々引き継がれてきた田畑が放射性物質によってもう使えなくなってしまうほどに汚染され、自分たちの田畑から離れなくてはいけなくなった農家の方々の絶望はどれだけ深いものなのか。

  この原発事故が起こった後に私が見たこと、聞いたことを、これからもずっと忘れずにいようと思います。そして、原発事故によって世の中がどのように変わっていくのか、私が死ぬまでずっと追いかけて見届けてみようと思っています。

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以下は昨年の3月11日に書いた農場通信より

原発事故というトラウマ  令和4年3月11日

萌芽の候、皆さま、いかがおすごしでしょうか。

  今年も3月11日を迎えました。11年前に私が農家として独立して小林農場を設立した直後に福島第一原発事故が発生して、東日本全体が大量に飛散した放射性物質によって汚染されました。小林農場ではできるだけ安全性の高い農産物を出荷できるように農薬を使用しないなどの努力を積み重ねていますが、畑の土が放射性物質で汚染されてしまえばどんなに努力をしても安全な農産物を収穫できません。原発事故が発生した当時は収穫された野菜は汚染されている危険がありましたので、しばらく出荷を自粛していました。

  今では不安は払拭されてきていますが、原発事故発生から数年間は福島県や東北・関東地方の農産物を多くの消費者は危険視して、購入することを控えていました。私の知り合いの農家も原発事故をきっかけに、今まで自分の農産物を長く定期購入してくれていた消費者から「しばらく定期購入を休ませてほしい」と言われて、出荷先を一気に失いました。

  農家だけではなく、農家との絆を大切にしてきた消費者にとっても、定期購入の休止を申し出ることは辛いことでした。自分や自分の家族を放射能汚染から守らなくてはいけないという消費者の気持ちも十分に理解できたので、農家は自分から離れてゆく消費者をひきとめようとはせず、定期購入休止の申し出を黙って受け入れるしかありませんでした。

  私にとって不幸中の幸いだったのは、事故の当時は小林農場を設立したばかりで、まだ野菜セットの出荷を始めていなかったことです。現在のように多くのご家庭が小林農場の野菜セットを定期購入してくださっている状況で原発事故が発生したりすれば、どうなるのか。小林農場のような小さな農場が自分の農産物を定期購入してくださるご家庭に出会える機会は希少であり、そんな一つ一つの縁を大切にしながら時間をかけて野菜セットの出荷数を増やしてきました。原発事故が発生して農産物が汚染されれば多くのご家庭が農場から離れてゆき、積み上げてきたものを一瞬に失う喪失感は大きなものとなるでしょう。

  事故を起こした後の福島第一原発の敷地内には、事故処理の作業の過程で放射性物質を含んだ汚染水が毎日発生していて、汚染水はタンクに詰めて保管されていましたが、増え続ける汚染水を保管できる敷地が足りなくなり、日本政府は来年より汚染水を海洋に少しずつ放出することを決定しました。「汚染水は十分に濃度を薄めてから放出されるから、海洋は汚染されず、そこから獲られる海産物も安心して食べられる」と政府は説明しています。

しかし今まで政府は原発について様々なウソをついてきたので、今は多くの消費者が政府の言っていることを信用できなくなっています。汚染水の海洋放出が始まれば東日本の太平洋沿岸で獲られる魚は危険視されて、多くの消費者が離れ、魚師の生活が苦しくなります。今、漁師の皆さんは汚染水の海洋放出に強く反対しています。複数の団体からは海洋放出に代わる処理方法も提示されているので、政府は代替え案を検討するべきです。

私も被災地から獲られる魚をできるだけ購入して魚師の皆さんを応援したいです。原発事故で苦しんだ農家や魚師の多くは、原発の再稼働を目指す政府の方針に憤っています。

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