11年目の3月11日・風化されぬ記憶
今年も3月11日を迎えました。
福島第一原発事故の記憶が風化されることがないように、このブログでは毎年、あの時の記憶を遺してまいりたいと思います。
以下は昨年の3月11日に原発事故について書いた農場通信です。
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人とは共存できぬ存在 令和3年3月11日
春陽の候、皆さま、いかかがおすごしでしょうか。
今年の3月11日で福島第一原発事故が発生してから10年が経ちました。原発事故によって有害な放射性物質が福島県から東北・関東地方へ飛散して、広い地域が放射能汚染を受けました。人の目には見えぬ放射性物質は回収されぬまま今でも残留し、今後も長期間、山林を汚染し続けます。福島第一原発事故は、10年経った今でも終わっていません。
放射性物質に接触して被ばくすると人の体に障害が生じて、癌や白血病などの様々な病気に罹りやすくなります。事故の直後、畑の土も作物も放射性物質で汚染された可能性があったので、それらの安全性が確認されるまでは小林農場は野菜の出荷を自粛しました。
その頃はまだ原発事故の影響で発症した人は見当たらず、「皆が過度に放射能汚染を恐れすぎて経済活動を自粛すると社会が壊れるので、自粛は控えるべきだ」という意見もありました。しかし、放射能汚染では人体が被ばくしてから発症するまで数十年間もかかる場合もあり、被ばくした直後に発症しなければ安心してよいわけではありません。東北・関東地方の住民は放射能汚染に対しては意識的に恐れておいたほうがよいと私は思いました。
35年前に旧ソビエト連邦で発生したチェルノブイリ原発事故では、原発周辺の住民は他の地域に避難させられましたが、複数の専門家からは「故郷を離れることによるストレスで健康を損ねてしまい寿命を縮めてしまった人々もいた。過度に放射能汚染を恐れすぎることによって健康を損ねてしまう場合もある」と指摘しています。「病は気から」と言いますが、人は心にストレスを溜め込むと免疫力が下がって病気になりやすくなります。
いっぽうで、チェルノブイリ原発に近い地域では、原発事故から数年経った後にやたらと病人の数が増えた町もあり、複数の専門家は「原発事故によって多くの住民が被ばくしたことが原因だと考えられる」と指摘しています。被ばくによって発症しても原発事故から年月が経っていると何が原因で発症したのか判定することが難しくなります。原発事故は国の責任であり、被ばくによって病気に罹った国民に政府は賠償する責任がありますが、被害者が病因を証明できなければ政府は賠償をしません。福島の原発事故で被ばくした日本人も今後、被ばくによって発症しても日本政府が賠償してくれるのかどうか、分かりません。
幼い子供達は放射線に対する感度が高く、被ばくによって大人達よりも犠牲になりやすいです。年をとった者から先に天寿を全うしてゆくのが自然ですが、原発事故による被曝の影響で子供達のほうが先に亡くなってゆくのは残酷なことであり、回避するべきです。
人間は生態系の一員で他の生き物と共存してゆく能力が備わっていて、病気を引き起こす病原菌に感染してもやがて免疫を身につけて病原菌とも共存してゆきます。しかし人類が人工的に作り出した放射性物質は生態系から外れた存在であり、この物質が人間の体に与える影響は未知です。健康な若者達も、被ばくによって免疫力が破壊されて病気にかかるかもしれません。子供達や若者達の未来を奪いかねない放射性物質とは、私達は共存できません。放射性物質を排出し続ける原発は廃止されるべきだと、小林農場は考えます。
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