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2019年4月29日 (月)

死生観のある畑 平成30年12月27日

野菜セットでは、野菜といっしょに「農場通信」もお配りして、野菜栽培の様子や農場の考え方などをお伝えしてしております。このブログでは、数か月前の過去の農場通信を公開してまいりたいと思います.

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死生観のある畑  平成30年12月27日

今年もいよいよ残りわずかとなりました。皆さま、いかがおすごしでしょうか。

  気温の暖かな頃の畑では私が育てている作物の他にも無数の雑草が勝手に生えてきますので取り除かなくてはいけません。数えきれないほどの草の命を、私はこの手で奪ってきました。害虫もずいぶんつぶしてきましたし、農業とは殺生な世界だと思うこともあります。

蛇が蛙を食べるときも「蛙がかわいそう」などとは思わず、淡々と蛙を捕らえて食べます。生き物たちが淡々と食べたり食べられたりすることで、生態系は成り立っています。

以前に近所の農家の方から、鶏の首を切ってさばいて肉にするやり方を教わったことがあります。「かわいそう」という感情を抱きながらナイフを使うと手元が狂って鶏の首を切るのに手間取り、余計に鶏に痛い思いをさせてしまいます。淡々とした気持ちで臨めば見事に首を切ることができて、鶏をできるだけ苦しませずに死なせてあげることができます。

  私は毎日、野菜を収穫して料理して食べています。「野菜がかわいそう」などと思っていちいち食べるのをためらっていたら、私が飢え死にしてしまいます。私達は他の生き物を殺して食べなければ生きてゆけません。この真理を、どのように理解すればよいのか。思わず、生きるとは何か、死ぬとは何か、深く掘り下げて考えてしまいたくなります。

畑で暮らしている微生物や小動物や草などの無数の生き物はやがて死んで土に還ります。畑の土はこれらの遺体が分解されることによって形成されて維持されます。生きている生き物たちといっしょになって、すでに死んでいった死者たちが土を豊かにしてゆきます。これらの死者が私達に教えてくれることは、死んだらおしまいではなく、死してなお、この世に残って後世の生き物たちが生きてゆける舞台を作っているということです。

生き物の遺体が分解されて土に溶け込んでゆくように、人間も死ねば肉体から解放されて、目には見えないほど小さな粒子に分解されて、この宇宙に溶け込んでゆきます。「千の風になって」という有名な歌の歌詞の中では、亡くなった人が鳥や星や雪や日光に姿を変えてこの世に現れていますが、これらの粒子がこの世に新たなものを生み出してゆきます。今を生きる私達の肉体も、すでに亡くなって粒子になった先人たちから築かれています。

すでに亡くなったご先祖様達の生き様が私達の記憶の中に受け継がれ、私達が死んだ後、子孫の記憶の中に私達の生き様が受け継がれてゆきます。ある意味で、私達は永久に不滅です。「死ぬ」とは「終わり」ではなく、「次の段階の始まり」なのかもしれません。 

どんなに死ぬのが嫌だと思っても、人はいずれ必ず死にます。生きるとは何か、死ぬとは何か、自分なりの死生観をしっかりと持つことにより、死への恐怖心が和らいでゆくと思います。世界中の宗教がそれぞれの死生観を人々に授けていますが、毎日さまざまな生き物が生死を繰り返している畑も、大事な死生観を私達に授けてくれているような気がします。

新年を迎える度に、私達の残りの寿命は1年ずつ、短くなります。仕事をお休みしてゆっくりとできる正月に、「自分はどんな死に方をしたいのか」を考えてみたいです。それで「自分はどんな生き方をしたいのか」がはっきりと見えてくるでしょう。皆様、良いお年を。

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