「絆」が叫ばれたあの頃 平成28年3月11日
「絆」が叫ばれたあの頃 平成28年3月11日
解雪の候、みなさん、いかがおすごしでししょうか。
東日本大震災から5年。私は、農業研修を終えて小林農場を設立してわずか2か月しか経っていない頃に東日本大震災に遭遇しました。農場は震度6強の強震に襲われ、まわりの民家の瓦屋根は崩れ落ち、道路は地割れしたり陥没したりしていました。
巨大地震が発生してから数か月が経って状況が少しずつ落ち着いてゆく中、小林農場も野菜の販売を開始してゆきましたが、まだ始まったばかりの農場だったので、せっかく野菜をつくっても売り先がなかなか見つかりませんでした。東北・関東地方の太平洋沿岸部では大変な津波の被害を受け、被災地では津波で住む場所を失った被災者の方々が十分な食料を入手できていないと報道されていました。ならば売り先のない小林農場の野菜を被災者の方々に食べてもらおうと思いつき、被災地支援を行っている企業や団体に仲介していただきながら、野菜をたっぷりと段ボールに詰めて被災地の数か所へお届けしました。
被災者の方々から、お礼の言葉を電話や手紙でいただきました。小林農場の野菜をとても喜んで受け取ってくださり、おいしいと言ってくださいました。私も独立したばかりの新米農家で、本当に自分が作った野菜を食べた方々がおいしいと思ってくださるのかまだ確信が持てない頃でしたので、被災者の方々からの声には私の方が勇気づけられました。小林農場の野菜を一番最初に喜んで受け取ってくださったのは、津波の被災地の皆さんでした。
少しでも励ましになればと思い、野菜といっしょに被災地への私の想いをつづった手紙も添えながらお届けいたしました。その手紙を何度も読み返してくださった被災者もいらっしゃったようです。被災者の方々は支援物資を受け取るだけでなく、支援をさしのべる人々の想いも懸命に受け取ろうとしているように見えました。
その後も何回か、ボランティアとして無償で野菜を被災地へお届けしてきましたが、だんだん支援活動に費やす輸送代や手間が負担に感じるようになり、私の被災地支援活動は長く続きませんでした。私のまわりの農家の方々も同じように被災地へ農場で採れた農産物を送っていましたが、長い間自分たちの農産物を食べ続けてくれていた消費者のみなさんより輸送代などにかかる資金を援助してもらい、農家と消費者のみなさんが負担を分かち合うことで被災地支援を安定的に継続させていました。
あの頃は私を含め多くの人々が被災地を支援したいという衝動にかられ、自分にどんな支援ができるのか必死に探していました。大震災後、人と人が助け合う「絆」の大切さがしきりに叫ばれていました。
小林農場も消費者のみなさんとの絆を築こうと努めていますが、私のまわりの農家の方々は大震災が発生するもっと前から消費者との絆を日常的に大切に築いてきていて、その強く結ばれた信頼関係を生かしながら力強い被災地支援を行っていました。普段から築き上げてきた絆を被災地支援に生かしている方々の活動を、私は羨望の眼差しで眺めていました。
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