四十年間の月日 平成27年10月29日
四十年間の月日 平成27年10月29日
秋月の候、みなさん、いかがおすごしでしょうか。
すでに報道機関が何度も報じているように、今年は太平洋戦争終結から数えて70年、日本社会にとって節目の年です。同時に、私、小林武は来週の火曜日の11月3日で無事に30代を終えて40歳となり、今年は個人的にも節目の年となります。
今でも毎日、日が昇ってから日が沈むまで畑仕事にはげみ、一年を通して休むことなくみなさんに野菜セットをお届けしてきました。農家の資本は自分自身の体ですが、体力的な衰えはあまり感じていません。丈夫な体に私を産んでくれた父と母には感謝しています。
いっぽうで、物忘れが酷くなり、畑仕事に出掛けるとき、大事な道具を持っていくことを忘れてしまうこともしばしば。農場の事務仕事も以前と比べてすんなりとすませられなくなり、仕事をためこんでしまいがちです。
体の筋肉は衰えていなくても、脳の筋肉は目に見えて衰えてきています。やはり私も確実に年を重ねているようです。睡眠時間をたっぷりと確保するなど自己管理に気を配りながら、以前よりも自分をいたわってあげようと思っています。
今から40年前の昭和50年、私は東京都の江東区で生まれ、成人するまでそこで暮らしました。江東区は東京湾の埋め立て地に面する土地で、都心に近くて工場やマンションが次々と新設されて、住宅地が立ち並んでいます。全く田畑を目にすることなく、農業とは無縁の暮らしを送っていました。そんな少年時代の反動で、現在の私は農業をやっています。
一方で今私が暮らしている栃木県市貝町のような農村では、農家の子供は農業を引き継かずに、成人したら都会に移り住む場合が多いです。田舎で生まれ育った子供たちは田舎から離れて都会に移りたいと思うものなのかもしれません。人は今まで暮らしてきた場所とは違う場所に憧れを抱く傾向があるようです。
でも、どんなに他のいろんな場所に憧れを抱いていても、いずれは定住の地を定めなくては気持ちも定まりません。私は今の小林農場が定住の地だと思っていますし、もう東京で暮らすことはないと思います。ここでずっと農業を淡々と営んでゆきたいと思います。
いろんな偶然に流されながら、今の自分が暮らしている土地と出会いました。小林農場の野菜セットを食べてくださっている皆さんとの出会いは、偶然以外の何物でもありません。良き場所、良き人との偶然の出会いに恵まれた、今までの私の人生でした。
これからも偶然の出会いは何度も訪れるでしょう。それを「ただの偶然」で片づけたりせずに一期一会の気持ちで接してゆけば、きっと人生はおもしろくなっていくのでしょう。
日本人の平均寿命は80歳ですから、私の人生もちょうど前半を終えて後半に入ろうとしています。ひょっとしたら明日にでも交通事故に遭って、人生の終わりが唐突にやってくることもあるかもしれません。いつ人生の終わりが訪れても「もうこの世に未練はない」と胸を張ってあの世に旅立っていけるよう、悔いのない毎日を送りたいと願っております。
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