風化しなかった記憶~3.11回想
4年前、小林農場が誕生してからわずか2ヶ月後の3月11日、東日本大震災と福島第一原発事故が発生しました。以下は平成23年12月31日に農場のブログに投稿した記事です。当時の小林農場の様子を描きました。風化することがなかった記録を、再公開してみました。
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平成23年3月11日は多くの日本人にとって忘れえぬ永遠の日となりました。
その時私は、トラクターを運転しながら、畑を耕していました。トラクターの心地よい振動に身をまかせていると、突然、トラクター全体がバラバラに分解してしまうのではないかと思うくらいに、激しく横揺れし始めました。
トラクターのどこが壊れてしまったのか確かめようと、エンジンを切って座席から飛び降りて地に足をつけると、揺れていたのは大地そのものでした。わけがわからぬまま空を見上げると、電信柱をつたっている電線が、はち切れてしまわんばかりに暴れまわっていました。
あまりに大きくトラクターが揺れたので、最初はトラクターを壊してしまったのではないかと思い、かなり焦りました。しかし、揺れの原因が地震によるものだと分かり、ほっと胸をなでおろして、トラクターの座席に座りなおし、耕運を再開しました。
それから数回、トラクターの運転中でもはっきりと体に感じる大きな余震が起こっていました。
予定どおりに畑を耕し終え、トラクターを運転しながら公道に出ると、アスフアルトのあちらこちらが地割れしている光景が私の目に飛び込んできました。「これはただの地震ではない」と気づいた時には、巨大地震発生から20分ほどがたっていました。
3月12日、巨大地震による被害で福島第一原発が水素爆発を起こし、大量の放射性物質が大気中に飛散してゆきました。政府や専門家が「放出された放射性物質がただちに人体に影響を与えることはないので、混乱せず、落ち着いてほしい。」と呼びかけていたので、私も普段どおりの生活を心がけることにしました。
一方、私に畑をお貸ししてくださっている地主さんはすぐに、ご自分の農場の全ての露地野菜の出荷の中止を決断されました。放射能物質を浴びてしまっている危険性があるからです。
「なるべく外には出ず、室内で待機していたほうがいい。雨が降ってきたら、雨には当たらないように。外に出る必要がある場合は、肌を大気に露出しないように全身を何かで覆って、マスクをつけたほうがいい。」地主さんより、放射能汚染から身を守るための丁寧なご忠告をいただきました。
事故は原子炉1基にとどまらず、3月12日から5日間の間に福島第一原発の複数の原子炉が次々に爆発、事態は刻々と深刻度を増してゆきました。私のまわりでも、栃木県の外へと素早く避難していく人も少なくありませんでした。
放射性物質は目にも見えなければ匂いもしません。なので、私にはさっぱり、自分の身が危険にさらされているかもしれないという危機感が沸かず、やりたい畑仕事が山ほどあったので、事故発生から数日後には、普通に畑仕事を再開していました。
原発事故から1週間後、栃木県産のほうれん草から暫定基準値を超える放射性物質が検出されたとして、栃木県全域でほうれん草の出荷は停止処分に。
小林農場の畑では、小松菜が収穫時期を迎え、出荷する予定でいました。ほうれん草と同じように放射性物質を浴びているはずの小松菜を出荷しても問題はないのだろうか?疑問に思って県に問い合わせてみると、「ほうれん草は検査したけれども、小松菜はまだ検査していない。」との返事でした。
「それじゃあ、小松菜も安全だとは言えないということですか?」とたずねると、「そのように心配しすぎると、栃木県産の野菜に対する風評被害が広がってしまうかもしれません。慎重に調査を続けたいと思います。」と、なんだか困惑気味の回答がかえってきました。
当初の予定どおりに、小松菜を出荷してみました。私が初めて見つけた取引先からの初めての注文で、小林農場創立以来、記念すべき初の出荷でした。
出荷した後になって、安全性がはっきりと確かめられたわけでもない小松菜を出荷したことに罪悪感が沸きあがって怖くなり、気持ちが暗く沈みました。その頃、私のまわりの数軒の農家の方々は、事故発生後は、自分たちの作物を買って食べてくれる人々の健康を一番に考え、はっきりと作物の安全性が確認されるまでは、涙を呑んで全ての露地野菜の出荷を自粛していました。
小松菜を一度出荷したきり、しばらくの間、小林農場も全ての野菜を出荷することを自粛することにして、販路を開拓していくこともやめました。その間、出荷できるあてもないままに、例年どおりに畑に種を播いたり苗を育てながら暮らしていました。
収穫されぬまま放置されていた小松菜は菜の花を咲かせ、きれいな黄色に畑は染まってゆきました。
事故発生1ヵ月半後、放射能検査を受けていた地主さんの畑の作物の検査結果が伝えられ、この地域はそれほど深刻な汚染を受けていないことが判明して、ようやく、出荷活動を再開することとなりました。
大災害や食の危険が脅かされるなどの非常時に小林農場はどのように対応していくのか。それが試された一件だったと思います。これから数年間にわたって向き合っていくこととなる放射能汚染の問題。注意深く対処していきたいと思います。
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東日本大震災復興支援ソングです。今日、日本のどこかで歌われているでしょう。
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