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2013年12月 7日 (土)

新聞切り抜き ネット版 「農業改革」について  武田邦彦教授 現代農業 

私が最近気になった記事をご紹介いたします。

以下は武田邦彦教授のブログより

まず農業の従事者の平均年齢を見てみると、フランスは35歳から54歳ぐらいまでまんべんなく人が従事し、イギリスもほぼ同じだ。それに対して日本は65歳以上が半分という極端な状態で、2012年の平均年齢は68歳といわれている。

日本のほとんどの産業が65歳で定年を迎えることを考えると、すでに「農業」という職業は「無い」ということになる。それに米を作るには1年に1か月働けばよいし、会社組織の農業は実質的にできない。だから農業という産業は日本にないといってもよい。

Bandicam_20131105_152916756さらに、日本の農業は関税が高い。この表でわかるように、コメは778%という効率だし、そのほかの食料も軒並み高い関税をかけられている。もし日本が食料は輸入すると決めれば、食費はとても安くなるだろう。

もし仮に「必要な時にはすぐ食料が収穫できる」という技術ができ、「半年分の食料は備蓄してある」ということになると、日本は多くの農産物を輸入して安くておいしい食事をすることができるかもしれない。そのほうが平均年齢68歳の農業を保持するより良いかもしれない。

しかし、この問題は長く議論されても煮詰まらない。というのは農業を行っている人が現におられるということ、それが政治的な力にもなるし、日本人の希望はできれば日本で取れた食材を使いたいという希望もあるからだ。

私の個人的感じでは、従来の農業が年配者になっていることが好機だから、この機会に一気に「会社組織」だけにして、65歳以上の人は「農業定年」で半分にして平成の農業革命をするとよいと思う。そうすると農作物の値段は関税がいらないぐらいに下がると考えられる。(平成25114日)

以下は「現代農業」より

家族農業の大義
「和食の世界文化遺産」登録と「国際家族農業年」の意味を読む

各地域で、数人のおばあさんに集まってもらい、昔の食を思い出してもらい、実際につくってもらいながら聞き書きはすすめられた。当時の主婦たちの「食事つくり」とは、田畑で育てられた農作物、山や川や沼が恵んでくれる山菜や川魚など、そして海岸から運ばれてくる海産物、それらのすべてを頭に入れて、一年中家族全員に不足なく、楽しみながら食べ続けられるようにすることであった。

 人間が自然に働きかけ、自然が人間に働きかけ返す(自然に学ぶ)、その数千年に及ぶ積み重ねで日本の食文化は生まれた。「食」が農を育み、「農」が食を育むという日本の伝統的な家族農業がもつ「生産と生活の循環・一体性」のなかに、和食の文化は、その成立の根拠を見なければならない。さらに、その「食」と「農」は日本の「むら」(コミュニティ)の特徴である「自給」と「相互扶助(お裾分け)」の農村社会のなかで育まれてきたものである。

 この「和食」を、海外で知名度を上げ、和食に使う日本の農水産物や加工食品を海外へ輸出できるという浅はかなソロバン勘定に貶めてしまってはならない。ましてや、「攻めの農林水産業」で国内農水産物の輸出を増やすというTPP戦略の一環に利用されては、本末転倒である。

 山と田畑、川・海の循環、里山里海など、国民一人ひとりが美しいと感じるふるさとが伝統的な食文化の源泉である。それを育んできた家族農業を守ることなしに、「和食」の誇りを次世代に継承していくことはできない。「和食」を国民的財産として保全していく運動は、地域ごとに家族農業が立ち行くように新しい仕組みをつくること、これによって、そこに住むみんなが豊かになる地域再生をすすめる運動なのである。TPPとは真逆の世界なのだ。

「スモール イズ ビューティフル」で有名なイギリスの経済学者シューマッハは、そもそも、農業生産における人間と自然の関係は、最大利益を求めて世界を移動する自由をもつ企業とは根本的に異なるとして、農業の国際分業論を批判し、農業の目的を次の三つに整理した。

 (1)人間と生きた自然との結びつきを保つこと。人間は自然界のごく脆い一部である。(2)人間を取り巻く生存環境に人間味を与え、これを気高いものにすること。(3)まっとうな生活を営むのに必要な食糧や原料を自らつくり出すこと、の3点である。

 シューマッハは、現代の危機の打開にむけ、「人間の身の丈にあった技術」を生かした「大衆による生産」こそが、労働と自然の破壊をもたらす現代文明の危機を打開する唯一の道だとした。「世界中の貧しい人たち、農家を救うのは、大量生産ではなく、大衆による生産である」として、農村と小都市に何百万という数の仕事場をどのようにして作り出すかが、現代文明の危機を克服する核心であると主張したのである。この土台にあるのが自給を基礎におく家族農業であり、家族農業を基礎とする農村である。

 家族の次に社会の真の基礎をなすのは、仕事とそれを通じた人間関係である。その基礎が健全でなくて、どうして社会は健全でありえよう。そして、社会が病んでいるとすれば、平和が脅かされるのは理の当然だ。大衆をもっぱら消費する存在として拡大再生産していく現代社会を、「大衆による生産」に基づく社会に変革していかなければ人類に希望はない…これがシューマッハのメッセージである。

 今、急浮上している農政改革の直接的なはしりは、2007年、第一次安倍政権の時に実施に移され、戦後農政の総決算ともいわれた「品目横断的経営安定対策」である。担い手への施策の集中化・重点化をはかる観点から面積要件のみによって担い手を絞り込み、10年で40万の担い手を育成し、そこに生産の7~8割を集積することを想定したものである。この担い手絞り込み路線、小さい農家の離農促進政策は、民主党時代の「人・農地プラン」にもひきつがれた。

 しかし、この「人・農地プラン」のビジョンづくりは、政府の意図を超え、農村現場の努力によって家族農業とむらを守る共同活動としてすすめられている。

こうした地域による土地利用調整力の発揮、その広がりに業を煮やしたかのように、政府は「むらの話し合い」を促す「人・農地プラン」の法制化は見送って、「農地中間管理機構」法案を閣議決定した。農地利用調整の主体を市町村から「機構」に移し、「公募」による農外企業の参入も含め、農地の八割をTPPに対応する「強い農業」の「担い手」に集積することをねらったものである。

 しかし、こんな当事者抜きのやり方は農村をおかしくする。耕地は、非移転性、有機的連鎖性、非市場的性格をもつ地域資源の根源であり、その利用は、農家とむら、これをサポートする市町村や農業委員会、地域のJAが担ってこそ、その持続性が保たれる。

 自然とともに生きる農家は自然がそうであるように、個性的かつ自給的な存在であり、それゆえに共同が生まれる。

石油高騰、米価下落など、困難な状況だが、困難な時ほどこの「農家力」は発揮される。そして、これまでもこれからも、農家力が農耕文化、食文化を育み、「多面的機能」をもたらす。個的にして全的な存在―そこに「家族農業の大義」がある。

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