3月11日のあの事故はなんだったのか その2
昨年の秋から今年の冬にかけて、講演会で地元の生協の方々からの報告を何度かお聞きしました。安全な食品をお客さんに販売したいとの想いから生産者と顔の見える関係を築き、長い間ずっと自産自消を取り組んできた方々です。
原発事故により地元産の作物が放射能汚染を受け、安全を求めるお客さんから、食品を地元以外から仕入れてほしいとの要望が挙がりました。それでもその生協は、顔の見える地元の農家から農作物を仕入れることが食の安全を守るうえで一番確実と考え、放射能測定機を導入して販売する作物を検査しながら、地元産の作物を販売し続けたようです。
このような生協の姿勢は、きっと、生協に出荷していた農家の方々を勇気づけたことでしょう。今までコツコツと積み重ねてきたお互いの信頼関係が、この非常時に結実していく様子がうかがえました。
福島県と隣接する栃木県北部の那須町や那須塩原市では、栃木県の中でも最も深刻な放射能汚染を受けました。その那須塩原市で行われた講演会で、地域がどのように放射能汚染と向き合ったか、お話を聞いてまいりました。
住人の方々がとても活発に動いたようで、放射能測定機を導入してこまめに地域中を測定して、何度も話し合いを持ったようです。食品に対する国の暫定基準値では数値が高すぎて食の安全を守れないと判断し、チェルノブイリ原発事故後のベラルーシの基準値の37ベクレル/kgという厳しい数値をこの地域にも採用していくことを決めました。
「原発事故後は怖くて地元の野菜を食べられなかったけれども、今では食べられる。食品の測定を続けているけれども、那須塩原市で37ベクレル/kgを超える野菜はない。」と住民の方が語っていました。
原発事故後、福島周辺地域の農作物は、買い控えられるようになりました。特に子を持つ親御さんたちの心情を考えると、しかたがないことなのかもしれません。
ただ、原発事故が起こる前から、食の安全はさまざまな要因で脅かされていました。今はどうしても放射能汚染ばかりに注目が集まってしまいますが、他にも、農薬の毒性の問題、食品添加物の問題、食品表示偽装の問題などもあります。極端な例では外国から輸入された冷凍ギョーザから毒物が検出されてそれを食べた人が重症になるという事件もあり、顔の見えない遠い場所から食品を入手することの危険性が指摘されることもありました。
福島周辺にくらしている人々が放射能汚染を避けるために他所から輸入された食品を選ぶのも一つの選択だとは思います。ただ、遠くから輸入された食品の中には、放射性物質は含まれていないかもしれませんが、他にどんなものが含まれているのかははっきりしません。
食の安全を守るためには、けっきょくは生産者と消費者が顔の見える信頼関係を築いていくしかないと思います。今回の原発事故のような非常時が起こった時に、生産者と消費者が不安を打ち明け合いながらいっしょになって考えれば、危機をのりこえていけるのではないのでしょうか。
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